科学とメディアのあいだに横たわる問題:2008年調査の結果から
一般社団法人サイエンス・メディア・センター(SMC)は「科学を伝えるひとをサポートする」ことを目的とした組織です。この組織は、科学とメディアのあいだに横たわる様々な課題を解決するための社会技術注1の研究開発をおこなうプロジェクト注2の中から生まれました。
このプロジェクトは、そもそも私たちが2008年に行った研究調査の結果に基づいています注3。この調査では「科学が関わる社会の問題について、メディアの上で正確な科学技術情報に基づいた議論がなされるためには、何が必要か?」という問題に対し、こうしたメディアの情報を作り出す上で、重要な役割を果たしている科学技術の研究者とジャーナリスト注4、双方に対してのアンケートやインタビュー調査を行いました。(一般市民は?という疑問はあるでしょうが、一般市民の「科学技術情報の受け取り方」などに対する研究はすでに数多く行われていますので、この調査では行いませんでした)
この成果から得られたことの一つは「研究者もジャーナリストも、ニュースの現状には満足していない」が、「日本のメディアに流通している科学技術情報は、その『量』を見るならば、実は豊潤であると感じている」ということです。また、しばしば「日本の科学ニュースは『質』が低い」などと批判されますが、質の高い「科学的に正確な情報」そのものは、ネットや書籍なども含めたメディア全体としては、どこかにきちんと存在している、と(研究者にもジャーナリストにも)見なされていました注5。
そうなると、我が国の「科学とメディア」問題の本質は、「質・量ともにあるはずの科学技術情報が、メディアが媒介する、社会の議論に上手く組み込まれていないこと」にあります。
「私たちはより良い社会のために、<いま>何を議論すべきか?」
といった社会における議論の枠組み(議題)は、メディアのなかで作られます。これを、ジャーナリストの一方的な視点に基づく「議題設定(アジェンダ・セッティング)」ではなく、断片化してしまっている情報を編み込み、科学技術の専門家や市民の視点も取り入れた、新たなメディアの時代にふさわしい、協働的な「議題構築(アジェンダ・ビルディング)」の段階へと推し進めること。
そのためには、まず科学技術とメディアのあいだで、人と人とのつながり、そして情報のつながりの仲介を行う仕組み(社会技術)が必要であると考えました。
キーワード説明・脚注
注1「社会技術」:「社会問題を解決するための技術」のこと。この場合の「技術」とは、いわゆる自然科学的な(製品などの物質的なかたちをとる)科学技術だけではなく、人文社会学の知識も取り入れた、制度的・組織的な仕組み(サービスやシステム)も対象としています。
こうした仕組みやルールを研究・開発し、社会の中で実験し、さらにうまく行きそうなものは社会の中に組み込んでいく(実装)ことで、より良い社会を作っていくためのに研究に資金提供を行っているのが、(独)科学技術振興機構(JST)の「社会技術研究開発センター(RISTEX)」です。人と自然が共生するための取り組み、より安全で暮らしやすい社会を作るための取り組みなど、様々な研究が行われています。詳しくはRISTEXのサイトをご覧下さい。
注2:平成21年度採択JST-RSTEX「科学技術と人間」領域(領域総括:村上陽一郎)研究開発プロジェクト『科学技術情報ハブとしてのサイエンス・メディア・センターの構築』(代表:瀬川至朗・早稲田大学大学院ジャーナリズムコース教授)
注3:平成20年度採択JST-RISTEX「科学技術と人間」領域(領域総括:村上陽一郎)プロジェクト企画調査「研究者のマス・メディア・リテラシー」(研究代表:瀬川至朗)
注4:私たちのプロジェクトでは「ジャーナリスト(メディア関係者)」を、新聞記者やテレビなどの「伝統的メディアのジャーナリスト」だけではなく、「社会の問題に関し、何らかのメディアを通じて継続的に情報発信活動を行っている人」と広く定義しています。このため、SMCのサービスを提供する相手には、科学の関わるニュースを追い続けているブロガーなども含まれます。
注5:こう聞くと違和感を覚える人も多いかも知れません。しかし、ジャーナリズム論や科学技術社会論などの研究結果からは、もちろん海外報道には学ぶべき点が多いものの、必ずしも日本の報道が劣るとは言えない点も数多くあることがわかっていますし、他の言語圏と比べても、日本語メディアの中には、その使用者人口に較べて非常に多くの科学技術情報が流通しています。
サイエンス・メディア・センターという社会技術
それでは、こうした問題に対して諸外国ではどのような取り組みを行っているのでしょうか。私たちは米・英・仏・伊・独・瑞など各国を調査しました注6。その中で、ひとつの成功例として浮かび上がってきたのが、2001年にイギリスから始まった「サイエンス・メディア・センター(Science Media Centre, SMC)」という取り組みです注7。実は最初SMCは調査対象に入っていなかったのですが、調査に行った複数の場所で「SMCには行ったか?あそこの活動が軌道に乗ってから、イギリスの科学報道は変わった」と聞かされて訪問したという経緯があります。
SMCの活動に関しては後で説明しますが、今ではSMCはイギリスのほかにもオーストラリア、ニュージーランド、カナダにあり、さらにデンマークや南アフリカなどでも設立が準備されています(アメリカは?という声が聞こえそうですが、アメリカには「全米科学振興財団(AAAS)」という、科学者から理科教師、科学ジャーナリストなど多くの人々を含む巨大組織があり、AAASが科学にまつわるさまざまな社会機能をまかなっています)。
しかし、英語圏と日本では、メディアや社会の構造も異なります。私たちは、先行事例に学びながらも、日本の社会とメディアにとって最適な組織を独自に構築することを2009年10月から新たに始まった研究プロジェクト注2の目標に置き、2010年10月に「一般社団法人 サイエンス・メディア・センター(英語名:Science Media Centre of Japan, SMC)」を設立しました。
現在は早稲田大学内にオフィスを置き、SMCの常勤スタッフ2名、非常勤スタッフ数名に、母体となった研究プロジェクトの研究者が参加したメンバー構成で運営しています。また、一般社団法人という組織形態のため、外部の諮問委員を含む理事会の監督の下で運営されています。【参考:SMC組織概要】
注6:このときの調査対象のうち、インタビュー調査を行った代表的な箇所は次の通りです:National Institute of Health(NIH), The American Association for the Advancement of Science(AAAS), National Science Foundation(NSF), British Science Association(BSA), Royal Society, Biotechnology and Biological Sciences Research Council (BBSRC), CNRS(The Centre National de la Recherche Scientifique), ISCC(Institute in Communication Sciences), Sciences et Avenir, Max Planck Institute for the Study of Societies, maz31 (Swiss National Science Foundation, SNSF), MPIfG, Colonge University, Hochshule Bremen University.
注7:私たち「(社)サイエンス・メディア・センター」の英語名称が"Science Media Centre of Japan"と、日本で一般的なアメリカ式の"Center"ではなくイギリス式"Centre"というつづりになっているのは、モデルとなったイギリスのSMCに敬意を表してのことです。