デイビッド・ウォルトナ=テーブス教授
食物連鎖における放射性物質汚染
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カナダのサイエンス・メディア・センター(SMCC)から提供を受けた、デイビット・ウォルトナ=テーブス教授による著作の一章「チェルノブイリ後の食物連鎖における放射性物質汚染」を、ウォルトナ教授及び出版社の許可を得て翻訳掲載します(ウォルトナ教授は、日本向けに冒頭言に加筆下さいました)。
翻訳に際しては、豪日交流基金から支援を頂いています。
原書"Food, Sex, and Salmonella: Why Our Food is Making Us Sick"(Greystone Books, 2008) はコチラ(Amazon.co.jp)から購入出来ます。
Material from the book “Food, Sex, and Salmonella: Why Our Food Is Making Us Sick”, © 2008 by Dr. David Waltner-Toews, published by Greystone Books: an imprint of D&M Publishers Inc. Reprinted with permission from the publisher. [Amazon.co.jp]
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どんなものにも裂け目はある:食物連鎖における放射性物質汚染
デイビット・ウォルトナ=テーブス教授
カナダ・ゲルフ大学, 公衆医学部門(食の安全等)
David Waltner-Toews, Professor, Department of Population Medicine, University of Guelph
President, Veterinarians without Borders
ゲルフ大学オンタリオ獣医学部Population Medicineの教授。獣医疫学者、エッセイスト、詩人、小説家。 食物、水系感染症、人獣共通感染症(他の動物が人々と共有する病気)、および生態系の健全性の研究をしている。 国境なき獣医団(Vétérinaires sans Frontières)とthe Network for Ecosystem Sustainability and Health (www.nesh.ca)の創設者であり、初代CEO。 学際的な研究とアフリカ、アジア、およびラテンアメリカでの教育に尽力している。 さらに、約100の学術論文に加えて、詩集を6冊出版している。短編集で賞を受賞。ノンフィクションを4冊出版している。
※以下は、読みやすくするためにSMCJで注釈および中見出しを追加しています。
はじめに
現在、日本で起こっていることを踏まえての前書き
日本の原子炉事故により、放射能汚染物質が食物連鎖に入り込むことが予想される事態に我々は直面しているが、そうした時に、1986年のチェルノブイリの教訓は再検討する価値がある。今回の日本の「事故」が起こるまで、多くの人はチェルノブイリのことを忘れていたようで、原子力業界も事故後は世界の救世主として再び大手を振って世間を歩いていた。
かつては、原子力は良いものだった。原子力だから、かっこいいように思えたからというのがその理由である。現在では、原子力は「環境にやさしい」代替エネルギー源として、地球温暖化を抑止し、エネルギーを大量消費するグローバル経済の活性化に役立つともてはやされている。大きなカゴを手に森をスキップしながら通り抜けていく赤ずきんちゃんは、なにも北朝鮮とイランだけではない。
正直に言うと、このように原子力が環境にやさしく、明るい未来をもたらすという主張に私は疑いを抱いている。原子力発電所はたくさん卵が入ったとてつもなく大きいカゴである。おばあさんの家へ行く途中に通る森にはオオカミがいる。カゴが赤ずきんちゃんの手から落っこちるとしたら、それは故意なのか、それとも偶然なのだろうか。もちろんそれは偶然なのだ。
『Hitchhikers’ Guide to the Galaxy』(邦題:銀河ヒッチハイク・ガイド、河出書房新社)の著者、ダグラス・アダムズはかつて次のように述べている。悪い方向へ転がる可能性がある物事と、どうしたって悪い方に転がりようがないこと、この二つの大きな違いは、「悪い方向へ進むはずがないこと」が一度悪い方向へ転がってしまうと元へ戻す手立てがない、ということである。
これは、詩人レナード・コーエン注1の「どんなものにも裂け目はある」注2という言葉と対をなす有益な考え方である。だから、第2版からこの章を削除する可能性をしばらく検討して、私はこう思うのだ。あり得ない事故がもう一度起こったら――そうなればもう終わりだが――どういう事態に我々は直面するのかを再度考える価値があると。
注1:レナード・コーエン(1934-)はカナダの詩人、小説家、シンガーソングライター。【Wikipedia:レナード・コーエン】
注2:元のコーエンの表現は"There is a crack in everything, that's how the light gets in." 直訳すれば、「どんなものにも裂け目はある、だから光が差し込むのだ」となり、直前のダグラス・アダムズの悲観的表現に対して「最悪の事態の中でも可能性は残されている」という(いくぶん)楽観的な表現となる。
起こりうる危機
原子力災害から生じる放射性核種で、食物が汚染される確率は小さいかもしれない。ただし、ソビエト帝国の崩壊と反動的ナショナリズムの急速な広がりにともない、実際には、この確率は高くなっている可能性がある。それにもかかわらず、放射能汚染の影響は地球規模で深刻なものになる可能性があるため、つかの間なりともよく考える価値はある。
さまざまな種類の原子力災害が起こりえる。原爆実験が行われる場合があるだろう。もちろんそれはパリやワシントンではなく、南太平洋諸島なのであるが。あるいは、戦争行為として核兵器が使用されるかもしれない。被曝治療は大半が希望的観測に基づくものであるため、放射能を防ぐことは適切であるだけでなく、医学的観点から不可欠でもある。
原子爆弾が誤って投下されることもあるだろう。このような核事故は「ブロークン・アロー(折れた矢)」と言われることがある。私は自分が疑り深い人間なのではないかと思うが、なぜ矢(アロー)なのだろうか。なぜ壊れた自動小銃M-16ではないのだろうか。いずれにせよ、米国の公式報告によると、1950年から1980年までの間に、米国本土、太平洋および大西洋、グリーンランド、スペインの各地で22回の「ブロークン・アロー」が起こったとしている。行方不明の兵器の多くは回収されなかった。1968年にグリーンランドのノーススター湾における墜落事故では、プルトニウムが広範囲にわたり飛散し、デンマークの除去作業員が被曝する結果となった。ソビエト連邦も間違いなく多くの核兵器を紛失したが、これらは公式文書に記録されていない。これらの事故で大規模爆発が起こったり戦争が勃発したりすることはなかったのだが、それは、神の御心、あるいは少なくとも確率の法則に感謝するべきであろう。
最後に、事故は原子力発電所や核兵器工場、保管場所で、あるいは資材の輸送中に起こる可能性もある。過去30年間に起こったこの種の事故の多くは小規模であったが、大規模な事故もいくつか起こっている。1957年~1958年の旧ソ連のチェリャビンスク事故、1957年の英国のウィンズケール事故(現セラフィールド)、米国では1961年のアイダホフォールズと1979年のスリーマイル・アイランドの事故、1986年のソ連のチェルノブイリ事故などである。
食物連鎖における放射性核種の動き
研究成果から大局を捉える
食物連鎖における放射性核種について私たちが知っていることといえば、その大部分が客観的に記述された情報である。情報は実証研究や、ウラン鉱山および原子力発電所の周辺で実施されたフィールド調査、それに核兵器の大気圏内実験による放射性降下物に対する懸念に対応して1959年代と1960年代に実施された食物調査から集められてきた。
これらの調査結果は、地殻中で自然に発生する放射性核種について非常に有益な情報をもたらしてくれている。ウラン系列、トリウム系列、アクチニウム系列などの放射性核種はどれも、放射性崩壊を経て最終的にはそれぞれ異なる鉛の安定同位体となるが、こうした放射性核種の一部は地球zが誕生したころから存在していた。別の放射性核種、例えば炭素14やベリリウム10などは宇宙線や太陽の放射線同士の反応によって絶えず形成されているもので、安定的な原子核である。フランスやインド、ブラジルの一部地域や北極の極地付近に住む人びとの中には、従来から他より高い自然放射能レベルにさらされてきた人びともいる。こうした自然界の放射性核種は地殻中に不均質に存在しており、大気圏内核兵器実験中に生じた放射線と結合して、バックグラウンド放射線と呼ばれる放射性物質を形成している。
文献には放射能測定基準が数多く発表されているため、「木を見て森を見ず」という状況に容易に陥ってしまう。国際的な規制の全ては国際標準単位のメートル法で表示されているため、私もメートル法を使うつもりであるが、専門的過ぎると読者諸氏がお考えなら、細かい部分は飛ばしていただいてかまわない。この場合、難しいのは細部ではなく大局をとらえることにある。大局とはつまり、1ヵ所の原子力発電所で事故が起こると、その後20年以上のあいだ、科学者は環境(つまり食物)汚染が広範囲に及んでいる事実を発見し続けるということである。
放射線単位について
ベクレル、グレイ、シーベルトはどれも魚介類の名前のように聞こえるかもしれないが、実際は有効な計測基準である。ベクレルは放射線源の強度、具体的には時間単位当たりの放射性元素の崩壊の数を表し、1ベクレル(Bq)=1崩壊/秒である。線量、もっと正確に言うと吸収線量は、ある物質に吸収される単位質量当たりのエネルギー量と定義され、グレイで表わされる。1グレイ(GY)=1ジュール/kgである。最後の、線量相当とは細胞中に吸収された放射線の生物学的影響を示すものである。シーベルト(Sv)で表示されるこの基準はグレイで示される放射線量がもたらす作用であり、グレイに線質係数(QF)を掛けたものであるが、これは所定の放射線量が引き起こす生物学的破壊を示している。線質係数は正確な補正係数ではないが、別の放射線源から吸収された同量の線量について、おおよその比較基準を示してくれる。
こうした基準を用いて以下の3つの重要な問題を評価することができる。食物に含まれる放射能量(Bq/kg)はどの程度か。その放射能が摂取された場合に、どの程度の量が吸収されるのか(Gy)。放射能を含む2つの食品からどちらかを選べと言われた場合、どちらを人間が食べ、どちらを動物に餌として与えるべきなのか(答えは、シーベルト値の低い方だ)。吸収線量の値は正確ではないかもしれないが、原子力災害に直面して現実的な判断を下すために最も重要であることははっきりしている。
国際放射線防護委員会(ICRP)は、自然界に存在するバックグラウンド放射線や医療関連の放射線を除いて、線量相当は年間に5ミリシーベルト(mSv)を上回るべきではなく、年間平均1ミリシーベルト、一生の間に70ミリシーベルト以下に抑えておくべきであるとしている。多くの国がこの基準値に基づいて限界水準を設定しているが、平均水準は平均的な人間を対象に設定されたものであり、そんな人間はおそらく存在しないということも留意しておく必要がある。世界保健機構(WHO)が定める推奨残留値と同様、これらの基準値も運用上のガイドラインと考え、数字にだけこだわって常識をおざなりにするようなことがあってはならない。
物理的半減期、生物学的半減期、環境半減期
問題の要点に入る前に、あと2つ定義の問題を片づけておく必要がある。物理的半減期とは、放射性物質の半分が別の物質に崩壊するのにかかる時間を示している。崩壊してできる物質は放射性物質である場合もあれば、そうでないこともある。一方、生物学的半減期とは、所定の生物体、通常は動物や植物の個体をいうが、その中にあった放射性物質の半分がなくなるのに要する時間の推定値である。したがって物理的半減期は物質そのものに特徴的な性質であるが、生物学的半減期はその物質が体内でどのように代謝されるかという作用である。
物理的半減期や生物学的半減期も含めて、同じ半減期の仲間に環境半減期、あるいは実効半減期と言われるものがある。これは所定の放射性核種が生態系や食物連鎖にどの程度の期間とどまるかを示す推定値である。例えばセシウム137は、亜鉛鉱山の化学反応炉事故から流れ出すカドミウムに汚染された水を農地に引いた場合にその農地に残る主要汚染物質であるが、このセシウム137の物理的半減期は30年程度である。
しかし、トナカイの個体の筋肉中にある放射性セシウムの生物学的半減期はわずか2週間程度、そしてトナカイのえさになるトナカイゴケの生態系における生物学的半減期は約10~15年である。これはトナカイゴケにおける生物学的半減期が長いことを示している。したがって、家畜の短期管理にとっては生物学的半減期が非常に重要であるが、安全な食料供給の長期的な確保にとっては、物理的半減期と同程度の数値を示すことが多い環境半減期のほうが重要である。その一方、ヨウ素131の物理的半減期はわずか8日間であるが、人体における生物学的半減期は2~4ヵ月であるため、被曝を避けることが絶対に必要である。
生物蓄積、生体濃縮について
最後に、生態系中の化学物質について考える時には、動植物の個体内に物質が蓄積する生物蓄積や生物濃縮という現実や、捕食動物と獲物で構成される食物ピラミッドの階層が上がるにつれて、蓄積される化学物質の濃度が上がるということを、つねに念頭に置いておく必要がある。確かに、放射性核種は食物連鎖の一定部分に蓄積されることがある。そのうえ、多くの放射性核種については、連続する食物連鎖の階層を上がっていくにつれて蓄積される放射性核種の濃度が上昇し、その結果、生物濃縮が引き起こされる。私たちが検討してきた他の有毒物質に関して言えば、生物濃縮は水界生態系における放射性核種について特に重要に思える。
放射性核種、つまり放射性同位元素の数は非常に多いが、原子力事故で発生する可能性があるものに注意が必要である。チェルノブイリ事故の後、ヨウ素131、セシウム134、セシウム137や、少量のルテニウム103、テルル132、ストロンチウム90がヨーロッパ諸国のいくつかで検出された。ストロンチウム90は従来から、核兵器実験で生じる放射性降下物と関連があった。
どの場合も、生体内に放射性核種がとどまる期間は、存在する安定的な非放射性同位元素の分量、および放射性核種と安定同位元素の間の代謝的相互作用によって違ってくる。治療を行う基本原理の一つは、その放射性核種が取り込まれるのを阻むことができる安定同位元素を投与することである。生物学的には、ヨウ素131は急速に吸収され、ヨウ素が体内を移動する経路をたどって甲状腺に集まる。人間の場合、ヨウ素131のほとんどは尿で体外に排泄される。セシウムはカリウムと同じで筋肉細胞全体に行き渡る。実際、カリウムとセシウムの両方が人体に与えられると、人体はセシウムのほうを優先的に体内にとどめる。ストロンチウムはセシウムと同じように代謝されて骨の細胞に取り込まれるため、体内での代謝回転速度はゆっくりしている。ルテニウム103とテルル132は吸収されにくいため、危険性は最も少ない。
私たちが調査したのはチェルノブイリ事故であるが、このような原子炉関連の事故に注目すると、ヨウ素131とセシウム137の動きを、災害の状態と必要な対応の種類を示す有益な指標と考えることができるであろう。
チェルノブイリ事故(1986年4月26日)後の研究から得られた教訓
大気中への拡散について
放射性核種の大気中への拡散は、放出された放射性物質の量、放射性物質が大気のどの程度の高度にまで放出されるか、プルームの上昇・拡散に影響を与える風向きと天候変化によって左右される。大気中に拡散した後、放射性降下物が実際に地上でどのように拡散するかは、大部分が降水パターンによって決まる。その降水パターンは、煙などの大気中に浮遊する粒子状物質と地形によって左右される。その結果、放射性レベルの高い地域が不均一に存在することになる。チェルノブイリ事故後には、厚い木々の繁みが地面に降り注ぐ前に雨をとらえる「ツリー・アンブレラ」効果も見られた。
土壌によるコケ・キノコ・植物への取り込み傾向
放射性核種が地面に到達すると、土壌に含まれる有機物やミネラル分が放射性核種の拡散や、食物連鎖への取り込みに影響を及ぼす。例えば、有機物の含有量が高く粘土の含有量が低い土壌で成長する植物は、放射性セシウムの吸収量が高い状態が長年続くことが予想される。粘土状の土壌はセシウムと結合する力が強いため、セシウムが植物に吸収される速度は粘土分の少ない土壌ほど早くない。
植物による放射性核種の取り込みは、関連する放射性核種、植物の成長段階、植物の種類、土壌の状態によって変わってくる。チェルノブイリ事故後、ベルギーではホウレンソウのような葉物野菜においてヨウ素131の濃度が高かった。植物の葉に蓄積された放射性ヨウ素の10~40%は、おそらく直接吸収されたものと考えられる。一方、スウェーデンではホウレンソウの放射性セシウム濃度は非常に低かったが、これは、放射性核種がセシウムであったことに加えて、ホウレンソウの成長段階や土壌の種類がベルギーとは違っていたことを示している。
地衣類(コケ)や一部のキノコは、土壌の水分ではなく地面などの表面の水分に依存しているため、とりわけ汚染された雨水の影響を受けやすくなる。さらに、地衣類の成長速度は非常に遅く、したがって長期間にわたって放射性核種を集めて濃縮すると考えられる。カナダ極地の一部地域では、放射性セシウムの実効環境半減期は推定10~12年とされてきた。
植物の根がセシウム137を吸収する量は葉の吸収量よりも少なく、したがって、チェルノブイリ事故後に耕したが種まきを済ませていなかった土壌で成長した穀物は一般に汚染濃度が低かった。
野生動物・家畜への取り込み傾向
植物と同様、さまざまな動物が放射性核種を取り込む量も、全体的に複雑な相互作用によって変わってくるが、餌の摂取が重要な決定要素であることは明らかである。トナカイとカリブーは地衣類と密接に結びついているため、とりわけ影響をうけやすい。ノルウェーとスウェーデンでは、チェルノブイリ事故前の汚染レベルは200~300ベクレル/kgであったが、事故後は数値が跳ね上がり60キロベクレル/kgを上回ったケースも見られた。
ヒツジとヤギはウシやウマよりも地面に近いところで草を食べ、ヤギは新芽を食べる。したがって家畜の中では、このような小型の反芻動物が最も影響を受けやすい。ウシにおける放射性セシウムの生物学的半減期はおよそ5週間、ヒツジは約2週間であるが、イギリスのヒツジの中には、2006年4月に高地の放牧地から降りて来た時に、まだ1000ベクレル/kgを上回る放射能量を示していたヒツジもいた。
また、ノルウェーでは、2006年10月にヒツジの放射性セシウム濃度が7000ベクレル/kgを示していた。こうした数値が記録されたとなると、環境暴露は長く続いているに違いない。2006年の汚染レベルが高かったのは、その年は降水量が多く、キノコがたくさんとれた結果であり、それが放射能の摂取をうながすとノルウェーでは考えている。
消費市場向けのブタとニワトリは、加工済みの餌や輸入された餌を与えられ、屋内で飼育されることが多く、その結果、被曝からより保護される傾向にある。屋内で飼われて、蓄えてある餌を与えられている乳牛は、放牧されている乳牛よりも汚染される可能性が低い。
チェルノブイリ事故後、ヒツジとヤギの乳は牛乳よりも汚染濃度が高かったが、こうした小型反芻動物の乳は、通常の規制を受けないルートで流通する傾向にあるため、規制に関して特別な問題が生じる。乳が分離する時、放射性核種はカード(凝乳:固形成分)よりホエー(乳漿、乳清:水溶液成分)の中に集まる。チーズでは、ヨウ素131は3ヵ月間でなくなるが、セシウム137は(存在する場合はストロンチウム90も)集まる傾向にある。これは主として、これらの放射性核種の物理的半減期が異なることと、時間の経過による液体重量の減少に応じて起こることである。
魚類への取り込み傾向
最後に、放射性核種による魚の汚染であるが、これは水の種類と質、および魚の食性と生育速度によって変わってくる。スウェーデンでは、淡水魚のほうが海水魚より汚染レベルが高かった。その原因のひとつは海水に汚染物質の濃度を薄める効果があるからだが、海水のカリウム濃度が淡水の約100倍と高いことも原因である。北部の栄養分が乏しい湖で育った生育速度の遅い魚が、もっとも影響を受けた。魚の場合、季節によるばらつきと長期的な生物蓄積の両方が起こる可能性がある。セシウム137の環境濃度は、軟体動物が5倍、魚が20倍、甲殻類が25倍になると推定されている。
食物連鎖における放射性核種の動き
3つの基本的特徴
全体的に、食物連鎖における放射性核種の動きを検討すると、食物の安全管理に関わる3つの基本的特徴がはっきりと分かる。
第一の特徴は一定のパターンがないということである。放射性核種によるいかなる汚染においても、汚染の程度と種類は地理上の場所が異なれば変わるし、生物種によっても異なる。同じ生物種の中でも個体によって違う。そしてもちろん時間の経過とともに変化する。このようなばらつき具合の一部、特に、生物種や地理的地域の間でばらつき具合がどう異なるかは予測可能である。少なくとも、汚染された雲が通過する時点の降水量や、土壌の種類、植物の種類、汚染された牧草や餌に対する動物の暴露程度などに基づいて、大体のところは予測することができる。スウェーデンでは、ヒツジの放射能は検出可能な下限量(2ベクレル/kg)未満から3.9キロベクレル/kg超まで、トナカイでは12ベクレル/kgから16キロベクレル/kg超まで、魚類の一部では検出可能な下限量未満から48キロベクレル/kgまでとさまざまであった。
セシウム137の濃度測定について、スウェーデンのデータに基づいてサンプリングを実施し、サンプリング回数の95%で真の平均値から10%の範囲内に収まって欲しいと願うなら、ミルクは200個、牛肉は1000個、トナカイなら40万個程度のサンプルが必要となるだろう。カナダの放射能に関してカナダ政府が出した1986年の報告書は、カリブー1頭を検査したことに触れている。
魚や野生生物のように個体の放射性物質の蓄積レベルが大きく異なる動物の場合、特定精度の範囲内に合わせた単純無作為抽出によるサンプリングは現実的ではないであろう。高い汚染レベルが予測される地域で、より対象を絞ったサンプリングを行えば、より少ないサンプル数でさらに精度の高い推定値を算出できると考えられる。
第二に、放射性核種はあちこち移動することが多い。一つの場所にたどりついて、そこでじっと動かないわけではない。環境の中をあちこち移動し、無数の生物物理パラメータに影響を与えたり、また逆にそうしたパラメータから影響を受けたりしている。影響を及ぼす重要な環境因子の一部は確認されている。競合する安定元素(カリウム、ヨウ素、カルシウムなど)の量、土壌の種類(粘土か砂か)、植物の取水(地表に根を張るか、深く根を張るか)、動物の食性(若葉を食べるか、草を食べるか;地面に近い草木を食べるか、高いところの草木を食べるか;肉食か草食か)などがそうである。これらの環境因子は災害発生時に初期決定を行うのに活用できる。
第三に、放射性核種のいくつかは食物連鎖の階層が上がるにつれて濃縮される可能性がある。特に水界生態系においてこの可能性が高い。他の生物では、放射性核種は体内に取り込まないように排除される場合がある。例えば、牛乳中のヨウ素131の濃度は、通常、乳牛が消費する植物中に含まれるヨウ素131の濃度の10分の1である。
汚染への対策
チェルノブイリのような核の危機に対応する際には、まずまず安全な食料供給を確保するために、農家、獣医師、食品加工業者、公衆衛生当局が大いに協力する必要がある。
農家では、予防措置と治療行為の両方が可能である。汚染地域の動物は屋内に入れ、保管してある汚染されていない餌を与えなければならない。これができない場合、例えば、北部地方の一部では動物を放牧したり狩猟したりしているが、こうした場合、汚染されていない地域から指定の給餌場所へと干し草を輸送してもらうべきである。
チェルノブイリ事故の後、一部の農家は犠牲にするヒツジを送り込んで汚染された牧草を食べつくさせ、牧草地の汚染除去を試みた。これらの動物は汚染された植物を食べつくし、その後は殺されることになっていた。こうしたやり方は放射能が葉と茎にとどまっている場合にしか有効でない。多くの場合、放射能はすぐに根に移動してしまう。そうなると、牧草をいくら食べさせても放射能を除去することはできない。
トナカイと地衣類の生態系においては、放射性元素の長い実効半減期と、地衣類が根から放射性物質を吸収しないという事実の両方を勘案する必要がある。牧草を食べさせて除染するというやり方は効果があるかもしれないが、私が生きている間には実現しないだろう。これは、中東に平和が戻る可能性について神が仰せられたとされるとおりである。
スウェーデンの牧羊業者のなかには、森林地域に放牧している業者もある。しかし、森林の「アンブレラ効果」が役に立つことはたまにしかない。栄養分の乏しい針葉樹林の土壌で育つ多くの植物は、人間が生態系にばらまく汚染物質を含めて、手に入るものを生体内に非常に効率よく蓄積する。このことは、例えば2006年のノルウェーのヒツジについても同じことが言えるようである。
長期的には、石灰とカルシウムを豊富に含む肥料を土壌に交ぜて、放射性核種に競合する安定的元素として作用させること、および牧草を150ミリメートルの株に刈り込むこと、この二つの方法はどちらも、汚染地域で刈り取った飼い葉中の放射性核種の濃度を低減させると言われている。汚染された後、種をまく前に耕作することで、地表よりも吸収量が低い根のレベルにまでセシウム137の濃度を低減することができる。
動物の個体は、腸内でセシウムと結合して体内に吸収されるのを防ぐ働きをするプルシアン・ブルーやベントナイトなどのキレート化剤を与えたり、セシウムと競合して吸収を防ぐ、カリウム含有量が高い餌を与えたりすることで除染できる。ストロンチウム90が存在する場合は、マメ科植物など、カルシウムの含有量が高い餌を与えるのが適切だと考えられる。
セシウム137の物理的半減期は長いかもしれないが、汚染されていない環境の中で汚染されていない餌を与えられている動物は、セシウム137の生物学的半減期が比較的短いことを利用することで安全を確保できると考えられる。こうした方法が成功するかどうか、そのひとつは、汚染された動物を汚染環境の外へ移して素早く治療するということにかかっている。
砂地に育つ植物や、キノコのように根を地中浅くに張り地表の水分に依存して生息している植物、それに、汚染時に葉が生い茂っている青い葉物植物は、動物や人間が消費しないようにする必要がある。皮をむける果物と野菜はおそらく廃棄せずに済むだろう。熟した根菜作物、特に粘土質の土壌で育つ作物も汚染される可能性が低いと考えられる。
人間がヨウ素131とストロンチウム90に曝露する主要経路はミルクと乳製品である。セシウム137には主に食肉を介して曝露する。汚染対策に資源を割り当て、優先順位を付ける場合、動物由来の食物を疑惑の大きい順にランク付けすると、小型反芻動物>肉牛>乳牛>ブタとニワトリ、という順になる。
これらの動物のそれぞれでは、外部と完全に遮断した環境で育てた動物は対象外とし、牧草地へ放牧されている動物を特別な配慮の対象にすべきである。汚染直後の期間は、主としてヨウ素131に注意を払う必要がある。その後は、ミルクと食肉中のセシウム(およびストロンチウム)が第一に注目すべき元素となる。先に述べたように、汚染されたチーズを保管すれば放射性ヨウ素は消失するが、放射性セシウムについては、保管あるいは廃棄する前にチーズを検査することが重要である。
食物の廃棄
最後に、汚染された食物を廃棄すると言うのは結構だが、どうやって廃棄するのだろうか。チェルノブイリ事故の後、放射能で汚染されたヨーロッパのチョコレートが例えばマレーシアへ輸出されたという記事が、新聞でたびたび報道された。先進国は戦争もゴミも汚染物質も非常に長期間にわたり途上国へ輸出してきた。そしてその罪を免れていることに、私は驚かない。
私はソ連の科学者の講演に出席したことがある(ソ連にまだ科学者がいた時代のことだ)。チェルノブイリ後の食品安全に関する講演だった。その科学者は放射能に汚染された牛乳の「処理」を繰り返し訴えていた。処理とはどういう意味だと尋ねると、彼は口ごもった。なかなか口を開かなかったので、彼の同僚の一人が――恐らくその同僚はKGBのスパイを題材にしたアメリカ映画をたくさん見過ぎており、聴衆を失望させたくなかったのだろうが――果敢にも彼の代わりに、要するに適切に対処するということだ、と答えたほどだった。誠意ある回答を得ることはできなかった。ヨーロッパ人の同僚は、食糧不足が起こったために汚染された食物の一部は「再利用」されたのだと私に教えてくれた。
監視プログラムは、汚染される可能性が最も高い動物だけでなく、人間の具体的な消費パターンにも合わせる必要がある。
牛乳の扱い
牛乳は子供にとって最も重要な食料源であるため、慎重に監視する必要がある。同じ社会の中では、子供は体重単位当たりの牛乳の消費量が大人に比べてはるかに多いからである。母乳は安全だが、それも母親が被曝していない場合に限る。母親が摂取したヨウ素131の約20%が母乳に出てくるからである。ヨウ素が母乳に出てくるとすれば、大半は被曝後の最初の12時間に出てくる。食糧の準備や蓄えが不足した状態で汚染が起こってしまった場合や、汚染が疑われる食物が供給されてしまった場合、子供と妊婦は安全な食品を優先的に受け取るべきである。多くの細胞が活発に成長している段階では、放射性核種の影響を非常に強く受けるためである。
食肉の扱い
カリブーやトナカイにおける放射性セシウム汚染は、一部の人びとにとっては、ホッキョクグマやウシで同じレベルの汚染が起こるよりも、公衆衛生上、深刻な危険になる可能性がある。牛肉を食べる人びとは、豊富にある食料のほんの一部として牛肉を消費しているに過ぎず、牛肉に代わる食料が他にも手に入る。しかし、カリブーを食べる人びとは選択肢が限られており、カリブーの肉が食事の中心になっている可能性がある。したがって厳密に健康を考えると、食事の中心となっている食物については許容レベルを低めに設定し、一つの食物源に対する依存度の大きい人びとに対して、それに代わる食物を補完として提供するのは当然だといえる。
水産物の扱い
海洋動物は、汚染された北方地域の人びとにとって比較的安全な代替食料源となる可能性がある。原子力災害が起こった直後に、放射性核種が食物連鎖の上の階層まで上がっていかないうちは、食物連鎖の最上部に近い階層にいる魚を使うのは、一般的に言って理にかなっているだろう。汚染が一度限りだとすれば、食物連鎖の下層部近くにいる小型魚類は時間がたってからのほうが安全だと考えられる。
食物の汚染許容レベルの議論
食物の許容レベルを設定することは、危機的状況の中では常に賛否両論が付きまとうし、人間の健康は、はっきり計測される放射性核種という単純な枠組みの中だけで定義しなければならないものでもない。一連の行為がもたらす社会的な影響のほうが健康に壊滅的な影響をもたらす場合もある。生物学的には、どんな微量の放射性元素も許容しないゼロ・トレランス(≒ゼロリスク)の考え方は、国産食物でも輸入食物でも成立しない。バックグラウンド放射能がいたるところに存在しているうえに、さまざまな食物やさまざまな人間集団にとって多様なリスクが存在するからである。ゼロ・トレランスの規制は、何の危険もなく食べることができるという、ありがちな誤解に基づいている。
スウェーデンでは、食物汚染の限界水準が全体では300ベクレル/kgに、野生動植物については1500ベクレル/kgに設定された。野生の動植物は、スウェーデン南部の都市部の住民にとっては食卓にのぼる食物のごく一部でしかなく、こうした都市部の住民にとって、この数値は適切かもしれない。しかし、北部の住民や先住民族にとっては不適切きわまりないものである場合がある。
国際機関の勧告のとらえ方
世界保健機構(WHO)と国際放射線防護委員会(ICRP)による勧告はすぐれた出発点となり得るが、平均を基準とすべきという誤った考え方は避ける必要がある。こうした考え方では、常識の及ばない範囲にいる人びとを深刻な被曝から保護できる場合もあれば、保護できない場合もあるからだ。
深刻な被曝を受ける危険がある人びとの多くは、文化的マイノリティや、国民の中でも特に弱い立場にあるサブグループである。高リスクの食物であるとか、被害を受けやすい消費者であることが確認されているグループをモニタリングし、予防的措置をとる。この両方に焦点を合わせた、合理的で妥当な方法が必要である。
危機的状況では、状況に応じた「最良の判断」に基づいて決定を下さなければならない場合が多い。リスクから損害を受ける者と恩恵を被る者が同じ者である場合、そのリスクを取る必要があるかどうかは、結局のところ自分自身に問う必要がある。
実感をこめてもう一度言うが、チェルノブイリの教訓は「自分の行いは自分に返ってくる」ということである。
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