20101010
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これはScience Media Centre (UK)によるプレスリリース(10/4/2010)の翻訳です。ロバート・G・エドワーズ教授が体外受精研究でノーベル賞を受賞した件に関して、関係者からのコメント、専門家からのコメント、体外受精研究に関係するタイムライン、関係資料等をお送りします。

ロバート・G・エドワーズ教授が体外受精研究でノーベル賞を受賞

 

これはScience Media Centre (UK)によるプレスリリース(10/4/2010)の翻訳です。

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ロバート・G・エドワーズ教授 (Professor Robert Geoffrey Edwards)

1925年9月27日、英国ヨークシャー地方リーズ近郊、バートリー生まれ

2010年のノーベル医学生理学賞は、体外受精(in vitro fertilization, IVF)の生み親として知られているロバート(ボブ)・エドワーズ(Robert Edwards)教授に贈呈された。

  • 彼とパトリック・ステプトー(Patrick Steptoe)は、1978年に世界で初めての体外受精に成功し、女の子が誕生した。(ステプトー氏は1999年に死去)
  • 世界初の体外受精で生まれた女の子の名前は、ルイーズ・ブラウン(Louise Brown)。
  • その後、ステプトーとエドワーズは世界で初めての体外受精クリニック「ボーンホール・クリニック(Bourn Hall Clinic, ケンブリッジ)」を設立した。

関係者コメント

ボーンホール・クリニック所長、マイク・マクナミー氏 (Bourne Hall Chief Executive, Mike Macnamee)

「ボブ・エドワーズは私たちの偉大な科学者の一人です。彼が1960年代初めに行った画期的な仕事は大きな躍進をもたらし、今では世界中で何百万もの命を育んでいます」

「ボブ・エドワーズは、共に研究してきた同僚や、彼に治療を受けた患者さんたちに心から愛されています。恩師であり、同僚であり、また友人でもある彼の受賞を、私はとても嬉しく思います」

世界で初めて体外受精技術で生まれたルイーズ・ブラウン(Louise Brown)さんと彼女の母、レズリー・ブラウン(Lesley Brown)さんのコメント:

「すばらしいニュースです。私と母は、彼が体外受精のパイオニアの一人として受けた栄誉を嬉しく思います。ボブに対する変わらぬ愛をお伝えしますと共に、彼と彼のご家族に心よりお祝い申し上げます」

ボーンホール・クリニック医学部長、トム・マシュー氏(Bourn Hall Clinic's Medical Director, Tom Mathew)のコメント

「1983年にこのボーンホール・クリニックの面接を受けに来て、初めてボブに紹介された時のことを思い出します。そのとき私は、彼の体外受精への愛情や熱意に感銘を受けました。また、研究チームのメンバーが一丸となって高い水準の医療と研究に取り組むことの大切さについて、彼が熱く語っていたことも覚えています」

「当時から、彼の考えは時代を先取りしていました。胚の冷凍保存、胚盤胞培養などの科学技術を、人々が実現可能なものと考えるずっと前から、彼はこうした技術のことを語っていました」

「ひとりの人間として、彼はいつも患者さんと話す時間を作っていました。患者さんに、いま研究所の中では何が起きているのかを語り、そして体外受精による赤ちゃんが生まれるたびに喜んでいました。いつも新たな命の誕生に際しては、心から喜びをあらわにする人でした」

エドワーズ教授夫人、ルース・エドワーズ(Ruth Edwards)と家族からのコメント

「私たち家族は『エドワーズ教授』が、体外受精の開発という研究業績によってノーベル医学生理学賞を受賞したことに感激し、喜んでいます」

「この研究の成果は、世界中の何百万もの人々の命に寄り添ってきました。彼の献身的な努力と、周囲からのさまざまな批判の声に独り立ち向かう決意こそが、この先進的な研究の実用化をもたらしました」

●ボブ・エドワーズ教授に対する専門家からのコメント:

バジル・ターラツィス教授(Professor Basil Tarlatzis,

 

国際不妊学会(International Federation of Fertility Societies, IFFS)代表

「彼に相応しい名誉です。体外受精は世界中の何百万というカップルに、新たな希望の扉を開きました。また医学全体に対しても、この研究は幹細胞研究や着床前診断、その他の様々な研究にいたるまで幅広い影響を与えました。エドワーズとステプトーは真のパイオニアと言えるでしょう。このノーベル賞受賞は彼らの研究だけではなく、生殖科学の分野全体に与えられた栄誉だと思います。この画期的な業績の後も、ロバートは不妊治療の研究を続けました。彼ほどこの賞に相応しい人物はいません。心からお祝い申し上げます」

マーティン・ジョンソン教授(Prof. Martin Johnson): ケンブリッジ大学教授、生殖科学

「大変嬉しく思います。受賞は遅すぎたぐらいです。私たちが10年ほど前に彼をラスカー賞に推薦したときには、すぐに受賞がすぐに決まりましたから、ノーベル賞受賞がなぜこれほど遅れたのかわかりません。しかし、彼は喜んでいます。彼にとって、これは思いがけぬ贈り物でしょう」

「ボブの研究は常に物議をかもしてきましたが、彼はいつもひるまずにその論争に立ち向かってきました。彼は先見の明を持った人で、体外受精だけでなく、60年代の不妊治療、70年代の幹細胞など、数多くの問題について、時代に先んじた倫理的な検討をおこなってきました。1971年にはヒト胚の研究の進展を見越し、ネイチャー誌に論文を書いています。彼は、人間としても、温かく寛大なとても素晴らしい人です。英国医学研究審議会(MRC)が彼の研究は非倫理的だと非難したときには、心を痛めていました。彼の研究はすべて、非常に明快な、倫理的で人間中心的な原則に基づいていたからです。世界が彼に追いつくのに、20年、30年かかったのです」

アラン・ペーシー博士(Dr. Allan Pacey): シェフィールド大学、男性病学

「このニュースを聞いて、大変嬉しく思います。受賞はとても遅れていました。ボブは先見の明を持ち、周りから批判の声が上がっていた時代にも、体外受精の開発に力を尽くしました。ノーベル賞は、彼が粘り強く研究を続け、その結果、世界中の何百万人の運命を変えたことへの賛辞です。ただ一つ残念なのは、昔ほど彼が元気じゃなくて、もっと早く受賞していればもっと喜べたんじゃないかなと思うことです。それでも、今日は彼にとって特別な日になるでしょう」

ルカ・ジアナローリ博士(Dr. Luca Gianaroli)、ヨーロッパ・ヒト再生発生学会(ESHRE)会長

「ボブがいなければ、我々ESHREやヒト再生ジャーナル(Human Reproduction Journal)は存在しませんでしたし、私たち再生医学者の研究も、今よりずっと遅れていたでしょう。ほとんどの発生学者や体外受精の専門家は、ESHREの研修やジャーナルに、何かしらのかたちで育てられてきました。つまり私たちは皆、ボブに心から感謝しなければなりません」

「ESHREにとって今日は素晴らしい日です。そして多くの強硬な反対意見に立ち向かいながら、沢山の家族の願いを叶えてきた、ボブのパイオニアとしての功績を讃えたいと思います」

エドワーズ教授の2008年のコメント入り記事

 

Background and quotes from Professor Edwards from 2008

世界で初めての体外受精ベビー、ルイーズ・ブラウンの誕生から30年以上が経った。

その成功に関わったロバート・エドワーズ教授は、体外受精の生みの親として知られている。彼は初めてヒトの胚盤胞を作り上げた1968年のある日を、昨日のことのように覚えているという。

「あの日のことは忘れませんよ。顕微鏡をのぞいたら培養液の中に変な物が浮いていたんです」と、パトリック・ステプトーとともに体外受精技術を開発したエドワーズが言う。

「顕微鏡をのぞきこんだ私が見たものは、こちらをじっと見上げているヒト胚盤胞でした」

(訳者脚注:「じっと見上げている」というのは比喩に過ぎないことに注意。胚盤胞の状態の卵子はまだ球状であり、目があるわけではない。)

「その時は『ついにやった』と思いました」

エドワーズは、それまではヒト胚を2日目のステージまで育てることしかできなかった。この発見が無かったら、他の研究者がこの発見を成し遂げるまで、まだ10年か20年はかかっただろうと回想する。それは何千もの赤ん坊が、この世に生まれて来なかったということになる。

「自慢をするつもりはないのですが」エドワーズは言う。「他の研究者は動物実験しかしていなかったのです」

10年後、生理学者であるエドワーズと産婦人科医のステプトーは、ルイーズ・ブラウンの誕生で世界的な有名人となった。

しかし明らかなのは、11人の孫を持つエドワーズにとって、成功によってもたらされる栄誉が研究の動機だったことは無い、ということだ。

実際、一人の記者がルイーズ・ブラウンの母、レズリー・ブラウンが体外受精によって妊娠したことを嗅ぎつけ、その新聞の一面に自分の写真が載っているのを見たとき、エドワーズは「恐怖した」という。

エドワーズの研究に対する動機は名声を高めることではなく、不妊カップルの妊娠を手助けすることにあった。

「人生で最も大切なことは子どもを持つことです」と彼は語る。

「子どもより特別な物はありません。

「ステプトーと私は、絶望の淵にありながらも子どもが欲しいと願うカップルに、大きく心動かされました。

「多くの批判を受けましたが、私たちは患者さんたちのため、死にものぐるいで戦いました

「しかし、少ないながらも私たちを応援してくれる人々もいました。研究を続けるのには、それで充分でした」

エドワーズが最も嬉しかった瞬間は、ボーンホール・クリニックで、ルイーズ・ブラウンから数えて1000人目の赤ん坊が生まれた時だという。

彼はこのことを、すでに重い病に伏せっていたステプトーに告げたときの興奮をはっきりと覚えている。それは彼が亡くなる直前、1988年のことだった。

「彼の目に浮かんだ喜びを、私は一生忘れません」

エドワーズは、彼とステプトーが切り開いた技術が目覚ましい発達を続けていることに、今にいたるまで驚かされっぱなしだという。

「クリニックによっては自然妊娠より成功率が高い所があります。

「これには本当に感銘を受けました。

「初めのころは、成功率は10パーセントでした。

「また、卵巣に刺激を与える技術の改良は、かつての私の想像を超えています。

「胚の冷凍や胚の提供-今や多くのことが可能になりました。

85歳の今、エドワーズは5人の娘と11人の孫に恵まれ、このうえなく幸せだという。

「人生で一番重要なのは子どもを持つことですから」

1978年7月25日のルイーズ・ブラウンの誕生以降、ボーンホール・クリニックでは10000人以上の赤ん坊が生を受けた。このクリニックこそ、地球上の数百万の家族の人生を変えた、記念すべき場所である。

-了-

【資料】

●英BioNewsにおけるボブ・エドワーズ教授関連の記事(時系列順、リンク先は英語)

[2001.9.24]

ラスカー賞受賞 

http://www.bionews.org.uk/page_11214.asp

[2002.7.10]

ヒトクローンに関する賛意表明

http://www.bionews.org.uk/page_11384.asp

[2003.7.28]

体外受精の25年

http://www.bionews.org.uk/page_11686.asp

[2006.7.10]

世界最初の体外受精児、子どもを授かる

http://www.bionews.org.uk/page_12784.asp

[2008.7.21]

世界最初の体外受精児、30歳を迎える

http://www.bionews.org.uk/page_13450.asp

[2010.7.26]

MRC(英医学研究会議)が最初の体外受精に関して研究助成金を出さなかったことが判明

http://www.bionews.org.uk/page_67313.asp

[2010.8.2]

 <コラム>なぜMRCは最初の体外受精に関して助成金を出さなかったのか

http://www.bionews.org.uk/page_67380.asp

●体外受精タイムライン(英国の動き)

1932

SFのなかの体外受精:1932年、オルダス・ハクスリーのSF小説「すばらしい新世界」では体外受精について書かれている。

1968

世界初の卵子収集:フランスの科学者が腹腔鏡検査を利用して女性から卵子を収集。

1969

初期の研究:Edwards, BavisterとSteptoeの論文がネイチャーに掲載。「ヒトの卵子に精子を注入してできた胚を、再び子宮に移動する技術は妊娠で困っている女性の悩みを解決する」と発表した。エドワーズとステプトーはその後、体外受精を開発、そして1975年に初めての人工授精による妊娠を試みるが失敗。

1978

初めての体外受精ベビー:イギリスでルイーズ・ブラウン(Louise Brown)が生まれる。アメリカで体外受精技術を適用し、イギリスで生まれた初めての赤ん坊。

1983

初めての提供卵子を用いた子どもが誕生。

1984

初めての冷凍胚を使った子どもが誕生。

1985

初めての商業代理出産:子どもが2人いる母親Kim Cottonが6500ポンドの支払いを受け、自分の卵子と不妊の女性精子を使って子どもを生んだ。

1990

イギリスで「ヒトの受精及び胚研究に関する法律(Human Fertilisation and Embryology Act)」が成立:体外受精の技術使用に関する制限と公共における議論の指針が策定された。

1991

研究の結果、卵子の劣化により妊娠成功率は年齢と共に低下することが判明。

1991

英国で受精胚研究管理庁(HFEA)設立:8月1日から公式に活動開始。

1992

卵子分け合い:イギリスのLondon Women's Clinicで卵子の分け合い(Egg-sharing)が始まる。余剰卵子を不妊患者に対して譲渡する試み。

1994

顕微授精法(ICSI)を使って生まれた初めての子供が産まれる。これに先立ち、1992年には妊娠に成功したとの報があった。

1997

Diane Bloodが裁判の結果、亡くなった夫の子どもを生むために体外受精を使用する認可を得た。

1999

初めての着床前診断(PGD): 鎌状赤血球症(先天性の血液疾患)にかかっていない胚を見つけ出せるようになった。

1999

卵子、空を飛ぶ:1999年、世界で初めて体外受精を受けた卵子が飛行機で移動される。世界のどこでも体外受精ができるようになった。

2000

シカゴの医師が、ナッシュ家に”救世主(saviour sibling)”を産むための体外受精を行う。ファンコニー貧血という珍しい先天性の病を持つ姉のために、臓器ドナーとなることを運命づけられた弟が産まれた。(小説/映画「わたしの中のあなた」のモデルとなった出来事)

2004

化学療法前に凍結しておいた卵巣の再移植を受けた女性が子どもを生んだ。

2009

体外受精に父親は必要ない:HFEAはその条項から「父親が必要」との記述を削除。未婚者、同性愛者が子供を持つ道が開かれた。

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