専門家コメント
iPS 細胞を用いた世界初の臨床研究始について
・これは、2014年9月19日にジャーナリスト向けに発行したサイエンス・アラートです。
・記事の引用は自由ですが、末尾の注意書きもご覧下さい。
<SMC発サイエンス・アラート>
iPS細胞を用いた世界初の臨床研究始について
理研は9月12日に、70歳代女性の加齢黄斑変性患者に対し、iPS細胞を用いた世界初の臨床研究を行ったと発表しました。今回の件で注目すべき点について、研究者のコメントをお伝えします。
八代 嘉美 特定准教授
京都大学iPS細胞研究所 上廣倫理研究部門
理化学研究所と先端医療センター病院のグループが世界に先駆けてヒトiPS細胞由来網膜組織の移植を行ったことは、眼科治療、そして再生医療研究にとって大きな一歩となりました。このような「世界初」の報道においては、社会や患者に多大な期待を抱かせかねないものが多くなりがちですが、今回は、直前にSTAP細胞の問題があったこともあり、比較的冷静に取り上げられた印象を受けました。
しかし、手術後一夜明けての記者会見を報じるニュースでは、『iPS細胞手術 患者「見え方が明るくなった」』などという見出しが付けられていました。これは患者の主観的な感想を伝えたものです。記事の本文中には、医師による「移植したシートが効果を発揮している可能性もあるが、評価するのは時期尚早」とのコメントもみられましたが、見出しを一瞥しただけではミスリードをもたらす可能性を否定できません。嘘を伝えているわけではありませんが、より慎重な報じ方が求められると考えます。
また、移植前の報道では、腫瘍化のリスクを検討する動物実験について、網膜シートと他細胞の実験を混同して報じたと思われる事例がみられました。先端医療が初めてヒトへ応用される場合には、安全性の検証がどこまで必要なのかさまざまな意見があります。慎重さを求めるという点では「不確実な内容でも報道する意味がある」との見方もあるでしょうが、正確性を欠く論調で世論を喚起すると誤った議論を独り歩きさせる可能性もあり、かえって公共の利益を損ないかねません。専門的知識を必要とする重要な内容については、「裏」を取る報道姿勢を求めたいと思います。
見上公一 リサーチフェロー
エジンバラ大学 科学技術イノベーション研究領域
理研CDB(発生・再生科学総合研究センター)でiPS 細胞を用いた世界初の臨床研究が始められたことは、多くのメディアで報道されました。2007年にヒトiPS 細胞が作成されて以来、その技術を臨床の場で活用することを大きな目標として研究が進められてきた中で、この移植手術が重要な位置づけにあることは確かです。ですが、あくまで現時点では「手術が成功した」ということです。当該研究の中でも複数件の手術が予定されているはずですし、「研究の成否は術後の経過の長期的な観察に基づいて判断されるものだ」ということを忘れてはいけないでしょう。
理研のHPに掲載された高橋政代プロジェクトリーダーのコメントの中に「治療として多くの方に届けられるように」という言葉があります。これに関連して、多くの報道で移植に使われたiPS 細胞が「自家」であったことが言及されていない点が気になりました。自家細胞を使うメリットは拒絶反応が抑えられることにありますが、時間や費用といったコスト面では特に大きな問題を残しています。日本では再生医療用iPS細胞バンクの構築も進められていますが、「長期的には、このバンクから提供される他家細胞に切り替えることを念頭に入れているのか」、それとも「少なくともこの治療法については、自家細胞を前提として進めていくのか」は重要な判断となるでしょう。また、昨年制定された再生医療推進法(*)において「この治療がどのような枠組みに当てはまるのか」といった、科学技術政策や法制度と関連とした広い視点からの報道も必要ではないでしょうか。
高橋プロジェクトリーダーは、これまでの公開シンポジウム等の場において、患者などの関係者に向けて、過剰な期待を抱かせないように注意を払ってコメントをしていました。今回の報道では、「安全性の確認が主な目的であること」や、「その治療効果が限定的であろうこと」などについての言及も見られ、研究者側の意図をある程度汲み取った報道がなされた点は評価できると思います。
*再生医療推進法について(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/iryou/saisei_iryou/
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