専門家コメント
ゲノム編集作物の規制と表示に関する提言について: 専門家コメント
・これは、2015年2月25日にジャーナリスト向けに発行したサイエンス・アラートです。
・記事の引用は自由ですが、末尾の注意書きもご覧下さい。
<SMC発サイエンス・アラート>
ゲノム編集作物の規制と表示に関する提言について:専門家コメント
北海道大学の研究者らが、「ゲノムを編集することで得られた作物」についての規制モデルを発表します。自然界では、生物のゲノムに「ただ一つの塩基が他の塩基に置き換わる(点変異」)、「一塩基(あるいは短いDNA断片)が欠失、または挿入される」といった変異が、しばしば起きます。ゲノム編集は、このような変異を人工的に誘発するもので、品種改良を可能にする新たな手法として農業分野で注目されています。一方で、ゲノム編集は、一見すると遺伝子を改変した痕跡が無いように見えるため、これまで行われてきた遺伝子組み換え作物の規制と合わない部分が出てくるといった問題も指摘されています。論文は2月26日、Trends in Plant Science誌オンライン版に掲載されました。この件に関する専門家コメントをお送りします。
【北海道大学 プレスリリース】
社会は遺伝子改変の痕跡がない作物を受け入れるか:ゲノム編集作物の規制と表示に関する提言
http://www.hokudai.ac.jp/news/150225_general_pr.pdf
【論文リンク】(アブストラクトのみ無料で閲覧可能です)
Motoko Araki. et al. 'Towards social acceptance of plant breeding by genome editing', Trends in Plant Science, 20(3), 2015 online
http://www.cell.com/trends/plant-science/abstract/S1360-1385(15)00029-1
【参考リンク】
ゲノム編集とは(熊本大学のHPより)
http://kbrp.kuma-u.jp/genome_editing/
小泉 望 教授
大阪府立大学大学院 生命環境科学研究科
今回の報告は1)実用作物にゲノム編集を適用した13報の論文の調査結果の概説、2)規制モデルの提案、3)社会受容に関する考察から、なります。2013年および2014年の出版された論文を中心に、主に実用作物の最近の研究を調査した点で評価できます。
一方で、懸念される点も見受けられます。プレスリリースでは、一般の人に判り易いようにという配慮なのか「遺伝子改変の痕跡がない作物」という表現を用いていますが、誤解を招く恐れがあります。ゲノム編集に限らず、全ての新しい作物で遺伝子改変(DNAの変化)がおきるからです。規制に関しても、筆者らは「product baseで考えるときに来ている」と述べている一方で、示しているモデル図は明らかにprocess baseの考え方に則っており、矛盾しています。DNA配列におきているイベントは科学的に調べることができますが、形質の提示の方法を科学的に判断することは容易ではありません。例えば、「ある遺伝子が働かなくなった結果、美味しくなったけれど、病気に弱くなった」という場合、機能喪失か機能獲得なのか、どう判断するのでしょう。
また、「知る権利」の議論、運動があったとしても、科学的に従来育種と本質的に(つまりDNA配列上)同一かつ安全であれば、(少なくとも規制当局が)規制する必要があると思えません。著者らが提案するtagの付加は実際の運用は現実的と思えませんし、こうしたシステムを導入すれば莫大なコストを消費者が負担することになることも、よく考える必要があります。どうしてもゲノム編集技術を用いた作物を避けたい人がいれば、そうした人達がコストを負担するマーケットが形成されるのが合理的でしょう。
さらに、実用作物においては、再分化した植物とカルスあるいはプロトプラストでは結果の解釈が異なるので、整理して考察することが望まれます。筆者らはoff-targetを問題視していますが、根拠は必ずしも明確でありません。Off-targetの変異が食品のアレルギー性や毒性の原因になる可能性はゼロではありませんが、自然におこる突然変異や放射線、イオンビームや化学物質による変異の誘発においても同様のことが起こる可能性があります。従って、off-targetの影響を調べるなら、従来育種の全ての変異も調べるのが妥当でしょう。環境への影響に関する議論についは、除草剤耐性雑草は現状でも見られる現象でoff-targetの変異と関連付けることが論理的に正しいとは思えません。
こまかいことを言えば、モデル図のStringent line 4とPermissive line 1が逆だと思われます。図の説明にはゲノム編集に関わる酵素はRNAあるいはタンパク質として導入することが前提と記載されていますが、植物ではこうした方法は現実的ではありません。通常、酵素遺伝子を導入しゲノム編集をおこなったのち、交配によりnull sergeantとすることが一般的です。
結論として、国や北海道等の自治体が規制に対する対応に乗り出す時期と提言していますが、ゲノム編集は国際的な調和が求められる事項であり、自治体レベルでの対応は混乱を招くおそれがあります。適切な規制が必要とありますが、むしろ情報提供を含めた適切なコンセンサスの形成が必要ではないでしょうか。
【参考文献】
EUの状況は例えば、以下の論文に記載があります。
Precise plant breeding using new genome editing techniques: opportunities, safety and regulation in the EU. The Plant Journal, 78, 742–752 (2014)
立川 雅司 教授
茨城大学 農学部 地域環境科学科
この研究は、様々なパターンが存在する「ゲノム編集により生産された作物」を規制する場合の様々な可能性について試論的に論じたものです。今後の規制のあり方に対して一石を投じるものであり、著者の継続的な問題提起に敬意を表します。
プレスリリースを見る限り、著者はゲノム編集技術を「痕跡がないように見える」遺伝子改変技術として問題視しています。まずは、なぜ「痕跡がないように見える」のかという点について説明する必要があるでしょう。これまで行われてきた育種方法であっても、人為的にゲノム編集したものと原理的に同様の生物が派生する可能性があります。そのために双方の区別が付かないのです。「痕跡がない」ことを強調することは専門的知識がない人々をミスリードする可能性があると思います。
著者は規制モデルの図で「機能喪失」と「機能獲得」とを分けていますが、両者はコインの裏表の関係にあり、厳密には分けられないのではないでしょうか。むしろ重要なのは「機能」の中味であり、小さな遺伝子改変であっても、食品成分の大幅な変化が生じたり、リスクが想定されたりする場合には、そのリスクの度合いに応じて、適切に管理がなされるべきです。
EUなどでは、「GMOか否か」という問題と「リスクがあるか否か」(新規食品としての規制対象)という問題が切り離されて論議されています。従って、ゲノム編集によって生産される作物について、「鋳型DNAの存在の有無」や「機能の喪失・獲得」を基準にして並べ、規制の厳格・寛容さと関連付けて把握することは、必ずしもリスクに応じた規制にはつながらないと思います。
著者はオフターゲット(注1)への影響をリスクと同等視しています。しかし、オフターゲットが問題となるのは、「変異を加えた当代」を利用する場合に限られます。ヒトを対象とした医学分野では確かに重要な問題ですが、作物の場合には当代を利用するのではなく、交配を繰り返して増殖したものを種子として販売するため、こうしたオフターゲットへの影響はその過程で除去されるというのが、自然科学系の研究者の一般的な理解でしょう。従って、オフターゲットでの影響そのものをリスクと見るという本論文での図式は、少なくとも交配育種を行う作物の場合には、当てはまらないのではないでしょうか。オフターゲットを分析する論文数が植物分野において少ないとされているのも、こうした事情が反映されたためだと考えられます。
最後に、著者が指摘している「知る権利」についてです。消費者が「知る権利」を行使できるような環境を整備することには様々な費用が伴います。これをどのように実現するべきか(その内容や方法)という点については、利害関係者間で様々な観点から議論を行って結論を出すべきだと思います。そこでは、①社会・経済・倫理的含意(知る権利など)、②規制のあり方と実行上の担保、③技術的オプション(DNAタグなど)、④国際的な開発・規制動向 といった多角的な観点からの検討が必要です。その意味でテクノロジー・アセスメントが必要な課題といえます。
注1:オフターゲット(変異)
ゲノム変異の標的とした部分以外への変異
吉田 省子 客員准教授
北海道大学大学院 農学研究院
新しい育種技術(New Plant Breeding Techniques 以下、NPBT)には幾つかのタイプがあります。中でもゲノム編集技術は展開が著しく、ゲノム編集作物の規制のあり方についても模索が始まろうとしています。この段階で、著者らが恐れずに一つの考え方の試論を提示したことは評価できます。
プレスリリースを読んだ範囲で気になるのは規制モデルの図です。ゲノム編集作物の分類としては見やすいですが、果たしてリスクの種類や程度に応じた管理(規制)の提示に適しているでしょうか。このモデルではゲノム編集作物を「鋳型DNAの有無」と「機能の喪失及び獲得」の組み合わせで分類し、GMO規制の厳格さと寛容さの程度で線引き(規制線)していますが、予測される個別のリスクに対する視点が欠けています。また、機能の喪失や獲得と同程度に機能の中身も重要だと思われますが、この図には反映されていません。従って、筆者らが目指すリスク回避のためのモデル構築という視点からも、再考が必要ではないでしょうか。
著者らはこの成果が環境省や北海道等各自治体のGMO規制の見直しに資することを期待しています。しかし、別タイプのNPBTは問題にせずゲノム編集作物のみを対象にしているため、この提案では不十分でしょう。加えて、各自治体におけるGMO規制は各地域の文脈の中で成立している経緯を考えると、筆者らの普遍的モデルが規制改正への議論の第一歩となるには、地域の文脈の中で規制モデルを捉えなおす作業が必要になるので、限界があります。
個人的には、DNAタグ(注2)の導入がゲノム編集作物の社会的受容を高める選択肢の一つになるのか否かが、気になります。「知る権利」に絡めてDNAタグの導入が提案されていますが、消費者にとっては、DNAタグにはリスクがないと認識することと、そのゲノム編集作物を食べることは別の問題です。両者の違いを軽視するなら、研究開発者や政策決定者側に対する人々の信頼の問題が浮上するのは避けられず、GMOと同じ道を辿る可能性が懸念されます。
また、規制モデルさえも、科学的根拠の提示のみではなく、幅広く重層的なマルチステークホルダー対話を通した作業が必要なのではないかと考えています。つまり、NPBTはテクノロジーアセスメントが必要な課題であると言えます。
注2:DNAタグ
2014年の日本学術会議報告「植物における新育種技術(NPBT:New Plant Breeding Techniques)の現状と課題」要旨(p.ⅳ)によれば、「(遺伝子組換え技術とは異なる)新たな遺伝子の挿入をもたらさないゲノム編集技術の場合、自然変異、すなわち非組換え体と区別できないことが考えられる」とある。本提案では、元の作物とゲノム編集作物を区別する目印として挿入するDNA配列をDNAタグと呼んでいる。
日本学術会議「植物における新育種技術(NPBT: New Plant Breeding Techniques)の現状と課題」
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