20101120
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「遺伝子診断による教育サービス」に対する専門家コメント

Ver.1.2 (101120)

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<SMCJ発・サイエンス・アラート>

「遺伝子診断による教育サービス」に対する専門家のコメント

 子どもの教育を目的とした、DTC(*1)遺伝子検査のサービスが日本でも始まりました。いずれも「遺伝子検査を通じて、子どもの才能を測定し、教育に生かす」ことをうたっています。しかしこの種のサービスは、科学における妥当性は不確かで、また倫理的問題もあることから、現在も研究者が議論を重ねつつ、規制も視野に入れた早急な社会の制度設計を訴えているものです。この問題に関し、専門家の意見を提供します。

* 1:Direct-to-Consumer; 「直接消費者に提供される」遺伝子検査

 

 

○安藤寿康(あんどう じゅこう) 教授, 慶應義塾大学文学部

[行動遺伝学、教育心理学]

 ふたごによる行動遺伝学研究にたずさわっている研究者です。遺伝子が体つきや病気だけでなく、能力や性格、才能にも少なからぬ影響を及ぼしていることは、私たちの研究からも明らかになっています。しかしそれは何百何千もの遺伝子の全体的な効果であって、いま進められている遺伝子検査でわかるような単一、もしくは少数の遺伝子の影響はきわめて小さいこともまた明らかになっています。それは百人からなるオーケストラが奏でる音楽のよしあしを、たった一人のヴァイオリン奏者の出来不出来で説明するようなものです。確かに一人ひとりの演奏の積み重ねが全体の音楽のよしあしを形作ってはいます。しかし一人の奏者の音質のちょっとしたちがいが音楽全体に及ぼす影響はごくわずかで、他の奏者の音(=他の遺伝子の影響)や、どの指揮者のもとでどんな曲を弾くか(=環境や状況の違い)によって、その影響は異なってきます。

 もしそのヴァイオリンが壊れていたり、まったくのド素人が調子っぱずれの音を出していたら、確かに音楽全体がおかしくなることはあるでしょう。それが単一遺伝子による遺伝病に相当します。しかし通常の演奏家たち(ノーマルな遺伝子群)の個性の違い(遺伝子のタイプの違い、いまの遺伝子検査でわかるのはこのレベル)から、オーケストラ全体の音楽性(才能や性格に相当する)を説明するのは、ほとんど無意味です。

 いま研究が本当に明らかにしようとしているのは、オーケストラのなかの一人の「天才」を探すことではなく、遺伝子たちのオーケストラがどんな編成をし(遺伝構造の解明)、一つ一つの楽器がどのように音を出しているのか(個々の遺伝子の発現過程)を明らかにすることです。

 

○福嶋 義光(ふくしま よしみつ) 教授, 信州大学医学部遺伝医学・予防医学講座

[細胞遺伝学、臨床遺伝学、遺伝カウンセリング、遺伝倫理学]

 子ども(未成年者)を対象にした能力、性格、進路適性に関わるとされる遺伝子検査をビジネスとして行うことは、子どもの人権保護や差別防止の観点から、禁止されるべきである。医療においては、子ども(未成年者)を対象とした遺伝子検査について、「将来の自由意思の保護という観点から、未成年者に対する遺伝学的検査は、検査結果により直ちに治療・予防措置が可能な場合や緊急を要する場合を除き、本人が成人に達するまで保留するべきである」というガイドラインに従い、慎重に実施されている。個人遺伝子情報は生涯変化しないものであり、これが誤った理解により不適切に利用された場合には、その被害は生涯続くことになる。

 今回問題となっているよりよい教育を行うために遺伝子情報を用いるという遺伝子検査ビジネスは、全く根拠のないものであるが、たとえそれが根拠に基づくものであっても、遺伝子情報は確率情報に過ぎない。適性があると判定された場合でも適性がない人が含まれるし、適性がないと判定された場合でも適性のある人がいる。そうすると、やりたいのにやめさせられたり、やりたくないのに無理矢理やらされるというような、親にとっても子にとっても不幸なできごとが起こる可能性がある。子どもにとっては生涯続くトラウマにもなりかねない。

 児童虐待を例にあげるまでもなく、子どもの人権は社会が守っていく必要がある。子ども(未成年者)を対象にした能力、性格、進路適性に関わるとされる遺伝子検査ビジネスの危険性を強く訴えるものである。

 

○宮川 剛(みやかわ つよし) 教授, 藤田保健衛生大学

[遺伝子と行動・精神疾患の関係研究]

 記憶力、数学の成績、一般的知能、社会性などの心理学的特性に影響を与える遺伝子型については、最近多くの学術的研究が発表されている。これらの研究のほとんどは十分な科学的根拠に基づいており信頼するに足るものも多い。しかし、これらの研究は、特定の遺伝子の型と特定の行動特性の集団の平均値の間に統計的に有意な関連があることを示しているにすぎず、また、どのような行動特性でも影響する遺伝子は1つではなく多数あると考えられている。つまり、1つあるいは少数の遺伝子の型のみから個人の特定の心理学的特性を正確に推定することは現段階では不可能である。さらに、外国で確認された遺伝子型の効果が必ずしも日本人に当てはまるとは限らない。従って遺伝子解析の結果を「教育に応用」するというのは現段階では時期尚早である。

 ただ、血液型占いと異なり、遺伝子型の心理学的特性への効果には科学的に確からしいものが多数ある。もし研究が順調に進めば将来的には教育への応用も十分あり得る。個人が自分自身のゲノムについて知ることは無意味ではないし、知る権利は保証されるべきである。個人向けの遺伝子解析サービスは将来性のあるビジネス分野でもあるので、むやみに規制・禁止するのではなく、遺伝カウンセラーなどの専門家を雇用すること、科学的根拠を示す原著論文を引用すること、遺伝子型の実体(SNPのID(*2))を明示することなどを義務付けるなど、一定のルールやガイドラインの下、むしろ奨励されてよい。

 最近登場したサービスには、SNPのIDを明示していないため虚偽の解析結果を返してきたような場合でもその真偽を調べることすら不可能であったり、単一の遺伝子の効果を弱い根拠で断定的に言い切っているものもあるようだが、このような粗悪サービスは適切なルールの下で排除されるようになっていればよい。人類遺伝学会のみならず、脳科学関係、心理学・教育学関係の諸学会や一般消費者も含めて分野横断的な議論を行い、これらサービスが満たすべき条件を早急に検討すべきである。

(SMC注)*2: 「SNPのID」個々人でDNAを構成する塩基の1つが異なりうる場所がSNP。このSNPには固有のID番号が割り振られている。

 

○林真理(はやし まこと) 教授, 工学院大学

[生命論、遺伝子の科学技術社会論の研究]

 人間の能力の遺伝について、これまで科学的に明らかになっていることはごくわずかしかない。そのような現状でありながら、教育方針をアドバイスする目的で遺伝子を解析するといったことは、子どもの教育について真剣に悩む親をターゲットにした「不安商売」の一種と言えるだろう。人の弱みにつけこみ、擬似科学的な言葉で誤解を与えるものだからである。科学的根拠に乏しい診断結果をもとに教材を売り込む新手のセールスにもつながる。

 本来、子どもと毎日接している親など周囲の大人たちこそが、子どもの関心や好みを一番しっかりと受けとめることができているはずだ。子どもの良いところを見つけて伸ばすという大事な仕事を、中途半端な科学技術に頼って「外注」するというのは、子どものためを考えているというより、むしろ無責任とも言える。本当に親が子どもにしてあげるべきことは何かという観点から、遺伝子解析サービスの意味を考えることも必要だ。

 

○佐倉統(さくら おさむ) 教授, 東京大学大学院情報学環

[科学技術と社会の問題、脳神経倫理学を研究]

 遺伝子が人間をすべて決めているわけではない。人の性格や知能は、きわめて複雑な現象である。そこには実にたくさんの要因が絡んでいる。遺伝子は、その中のひとつであるに過ぎない。にもかかわらず、人の能力を遺伝子で測定できるかのように語るのは詐欺のようなものである。まして、その結果を子供の教育に応用するなど、無駄以外の何ものでもないし、悪くすると差別を助長する。これは子供の人権侵害ではなかろうか。このような活動は早急に停止するべきである。

 子供の遺伝子は、父親と母親から半分ずつ受け継がれている。つまり、父親と母親を見れば、子供の遺伝的な特徴はかなり分かるのである。まして性格や知能、行動の傾向などは、その人と直接付き合うことによって分かる特徴だ。親を観察して分かる以上のことが、遺伝子検査によって画期的に分かるわけではない。自分の子供の遺伝子は、半分はあなた自身のものである。それ以上、何の検査が必要だというのだろうか?

 

 

【参考リンク】

○日本人類遺伝学会「一般市民を対象とした遺伝子検査に関する見解」(2010)

http://jshg.jp/news/data/Statement_101029_DTC.pdf

※今回のような事態を想定し、つい先日発表された声明。

 

○日本人類遺伝学会「DTC遺伝学的検査に関する見解」(2008.10.2)

http://jshg.jp/dtc/index.html

 

○遺伝学的検査に関するガイドライン(2003)

http://www.congre.co.jp/gene/11guideline.pdf

※ 10の遺伝学関連学会による共同ガイドライン。子ども(未成年者)を対象とした遺伝子検査について「将来の自由意思の保護という観点から、未成年者に対する遺伝学的検査は、検査結果により直ちに治療・予防措置が可能な場合や緊急を要する場合を除き、本人が成人に達するまで保留するべきである」と定めている。

 

○経済産業省「経済産業分野のうち個人遺伝情報を用いた事業分野における個人情報保護ガイドライン」(2004)

http://www.meti.go.jp/feedback/downloadfiles/i41227dj.pdf

 

○特定非営利法人 個人遺伝情報取扱協議会「個人遺伝情報を取扱う企業が遵守すべき自主基準」(2008)

http://www.cpigi.or.jp/jisyu/index.html

 

○安藤寿康先生のプロジェクト関係サイト

http://kotrec.keio.ac.jp/

http://kts.keio.ac.jp/

http://totcop.keio.ac.jp/

http://www.futago-labo.net/index.html

 

○毎日新聞「遺伝子検査:手軽さと危うさ 科学的根拠乏しく、学会は過熱懸念」(2010.11.16)

http://mainichi.jp/select/science/news/20101116ddm016040020000c.html

 

 

 

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