2015129
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専門家コメント

米チームが、遺伝子改変技術で新たなキルスイッチ(自殺装置)を開発

・これは、2015年12月7日にジャーナリスト向けに発行したサイエンス・アラートです。

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<SMC発サイエンス・アラート>

米チームが、遺伝子改変技術で新たなキルスイッチ(自殺装置)を開発:専門家コメント


米国の研究チームは、遺伝子改変した生物が環境中に拡散しないために用いるキルスイッチを、新たに2種(DeadmanとPasscode)開発したと報告しました。Deadmanには「細胞が生存するために不可欠な逆転写(*)を抑制する遺伝子」が、Passcodeには「ハイブリッドの転写因子(**)」が搭載され、ともに大腸菌を自殺させることに成功したとのことです。論文は12月8日付のNature Chemical Biologyオンライン版に掲載されました。この件についての専門家コメントをお送りします。


*逆転写
RNAの塩基配列を写し取ってDNAを合成すること
**転写因子
遺伝子のオンオフを調節するタンパク質群のこと

論文リンク

Clement T Y Chan., et al., "‘Deadman’ and ‘Passcode’ microbial kill switches for bacterial containment", published in Nature Chemical Biology

 http://nature.com/articles/doi:10.1038/nchembio.1979

木賀 大介 准教授

東京工業大学大学院 理工学研究科

生命情報が指数関数的に蓄積され、また、DNAなどの生体高分子を合成する技術が飛躍的に進展しています。その結果、「多要素が動的に相互作用する、人工的な生命システム」を構築する合成生物学が勃興してきました。合成生物学を「遺伝子工学の発展形」として解釈するならば、古典的には一つの遺伝子やオペロンが導入されていた系から、種々の生物からの多数の遺伝子を組み合わせて使用する、ということになります。

合成生物学においては、これまでよりも格段に改変された細胞を用いることから、バイオセーフティ・バイオセキュリティ上の関心が生じている一方、この技術による新たな安全対策も発表されています。たとえば、天然には存在しないアミノ酸を「特定のコドン」に対応してタンパク質に導入させる技術と、この非天然アミノ酸が置換されると機能が発揮できなくなるタンパク質の設計を組み合わせて、限られた栄養条件でのみ生存を可能にする手法などが発表されています。

本研究を行ったCollinsらは、2000年に、細胞内に合成した人工的な遺伝子ネットワークの挙動が数理モデルでクリアに説明できること示し、合成生物学を切り拓いたパイオニアです。今回報告されたバイオセーフティを向上させる2通りの手段はいずれも、合成生物学的に、部品の種類の拡張や組み合わせによる大規模化が可能なことを担保しています。

昨年発表された非天然アミノ酸依存性スイッチ研究や本研究で興味深いのは、「開発した安全性技術の限界を実験データから示し、将来の発展を見積もっていこう」との姿勢であり、これが重要であることは間違いありません。その意味で、工学一般の思想を生物工学に導入しようとする合成生物学の立場が有益であることを改めてお伝えしたいと思います。

 

正木春彦 教授

東京大学大学院  農学生命科学研究科 応用生命工学専攻分子育種学研究室   


本論文は人工遺伝子回路の設計の「大変凝った応用例」と思います。従来、遺伝子操作した大腸菌の生物学的封じ込めには、代謝系が異常なために栄養がないと生存できない株を利用するなどの工夫がされていました。ところが、本論文では(1)デッドマンと(2)パスコードという2種類のスイッチ案が提案されています。(1)のデッドマンは、運転手が倒れた時の列車安全装置を意味します。2種の遺伝子(lacItetR)を利用することで,代謝されることのない低分子の物質(ここではtet遺伝子のリプレッサーを抑制するアンヒドロテトラサイクリン)を加えていないと、特定の遺伝子(トキシン遺伝子)がはたらいて自殺するよう設計されています。(2)のパスコードは、同じファミリーに属する4種の転写因子(LacI, GalR, CelR, ScrR)を人工的に組み換え,これらが遺伝子発現を開始する装置(複合プロモーター)に作用して、「特定の2種の糖だけを含む特殊な条件(つまり、これらがパスワード)」でのみ、トキシン遺伝子が抑制されて生き残るよう設計されています。いずれも、自然界を擬した条件では生残数が大きく低下し、人工環境に封じ込めておく系として有効だったとのことです。同じロジックは、他の制御遺伝子にも適応でき、複数のトキシン遺伝子を組み合わせることで、さらに性能を上げることも可能だと思います。人工遺伝子回路の設計としては、チューニングを含め大変面白いと感じます。

一方で、封じ込めとしては、トキシンとその制御系という原理を使う以上、破綻の回避は難しいと考えます。本論文でも、予想外に生き延びた菌の原因が分析されています。自然界に1mL漏出したとしても10億位の細菌数になるので、それが死滅するには現時点での制御では足りない計算になります。ただし、私は個人的には「どこまでも完璧な封じ込めを追求する努力」には無理があり、あまり重要だと思いません。

 本論文の一番の問題点は、様々な詳細な設計の評価が、基本的に対数増殖期(増殖が絶え間なく進んでいる状態)の菌で行われている点にあります。自然界に放出された菌は、すぐに飢餓、低温に曝され、少なくとも対数増殖期の遺伝子発現とは大きくかけ離れた状態にあると推定されるからです。 

 

鐘巻将人 准教授

国立遺伝学研究所 新分野創造センター    


本研究は、複数の遺伝子を用いた人工的な転写回路を大腸菌に組み込むことで、特定の培養条件下のみで生育させ、そこから逃げ出した大腸菌には「回路の自死スイッチ」をオンにすることで、細胞死を誘導するシステムを構築したものです。

従来の生物学研究の主流は、細胞が本来持つ遺伝子機能や、その機能的回路を研究することでした。ところが、様々な遺伝子の機能やその制御が理解された現在においては、本来、その生物が持たない遺伝子回路を巧妙に設計し、それを組み込むことで、新たな生物機能を付与することが可能になってきました。「合成生物学」とよばれるこのようなアプローチには、細胞を人為的に操作することを可能にし、基礎研究に役立つだけでなく、産業応用にも結びつく可能性があります。私は非常に将来性のある興味深い研究方針だと思います。

一方で、本研究で作成した大腸菌の自死スイッチについては、非常に効率的であるものの、回路構築に用いた遺伝子に突然変異などが起きることで、ごく低い割合ですが、そこから逃れる細胞が生じることも示されています。大腸菌が等比級数的に増殖することを考えると、「逃げ出した大腸菌の拡散」を本技術だけで完全に押さえこめることはできないでしょう。合成生物学の進展には目をみはるものがありますが、生命が生き残るために持つ、新たな状況への適応力や柔軟性にも感嘆を覚えます。

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