2025731
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老化した細胞が鉄誘導の細胞死を起こしづらい仕組み

老化した細胞が鉄誘導の細胞死を起こしづらい仕組み

老化した細胞が鉄誘導の細胞死を起こしづらい仕組み

がん研究会がん研究所細胞老化研究部を中心とするグループは、リソソームの内部が老化細胞では中性に近づくことで、老化細胞においてリソソーム内部に鉄が滞留し、鉄依存性の細胞死である「フェロトーシス」が生じにくくなることを明らかにした。研究チームは、老化細胞ではリソソームの酸性度を保つ V-ATPaseというタンパク質複合体の機能が低下しているためにリソソーム内部が中性に近くなり、これにより 2 価鉄イオン(Fe2+)がリソソームに留まることで、フェロトーシスの原因となる脂質過酸化反応が細胞全体で生じにくくなることを発見した。また、リソソームを酸性化させる薬剤を処置した老化細胞は、フェロトーシスを引き起こしやすくなることを見出した。さらに、膵臓がん細胞も老化細胞と同様のリソソーム機能異常を示すことから、リソソームを酸性化させる薬剤によって膵臓がんの発症や進行を抑えられることがわかった。リソソームの酸性度を制御することが、がんを含む加齢関連疾患の新たな治療戦略となる可能性が示唆された。論文は、7月29日、Nature Communicationsに掲載された。

【論文リンク】https://www.nature.com/articles/s41467-025-61894-9

【掲載誌】Nature Communications

【掲載日時(日本時間)】7月29日18:00

専門家コメント

森田(平田)洋子 岐阜大学工学部 特任教授

1. 老化細胞におけるリソソーム酸性度低下の意義
リソソームは、細胞の中で不要になったものを分解する「小さな袋」のような構造で、内部は通常、酸性に保たれている。ところが、老化した細胞やがん細胞では、この酸性が弱まり、中性化することが知られている。老化細胞ではこの変化が大きく、細胞の働きが低下して炎症が起きやすくなる。一方、がん細胞ではpHの変化が比較的軽いため、逆に細胞の増殖が促され、薬への耐性も高まることがある。

2. フェロトーシス誘導と治療戦略への応用可能性
フェロトーシスは、2012年に発見された新しいタイプの細胞死である。鉄(2価鉄イオン)依存的に細胞の中で「過酸化脂質」と呼ばれる物質が蓄積することにより、酸化ストレスが強くなり、細胞が障害される。アポトーシスと呼ばれる生体恒常性を維持するために必要な細胞死とは違い、フェロトーシスは主に外因性のストレスによって起こる。この仕組みに注目することで、これまでとは異なる方法で病気を治療できる可能性がある。実際、がん、代謝性疾患、神経変性疾患など様々な病気にフェロトーシスが関係していることが示されており、フェロトーシスを標的とした新しい治療法の開発が期待される。

3. 今後の研究課題
リソソームを酸性化させる治療戦略は、老化細胞やがん細胞のようにリソソームが中性化している細胞を選択的に標的とできるため、正常な細胞への影響が少ないことが期待される。しかし、リソソームの酸性化を担うタンパク質、特にV-ATPaseは細胞膜など他の細胞内区画にも存在するため、これらへの影響を最小限に抑えることが実用化に向けた重要な課題である。 また、フェロトーシスの制御は、がんを含むさまざまな加齢性疾患に対する新たな治療戦略として注目されている。一方で、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患では、フェロトーシスが細胞死に関与している可能性が指摘されており、疾患ごとに異なるフェロトーシスの役割を考慮した多面的なアプローチが今後求められる。

4. 本論文に関する総評
本論文は、リソソームが中性化した老化細胞およびがん細胞において、リソソームを再び酸性化させることでフェロトーシスに対する感受性が回復し、細胞死が誘導される仕組みを明らかにした。さらに、リソソームの再酸性化を促す化合物EN6が、膵臓がん細胞を移植したマウスにおいて腫瘍を縮小させることも示された。これにより、がん細胞の酸化ストレスに対する耐性にリソソームの中性化が関与していること、そして薬剤による再酸性化が有効な治療戦略となり得ることが、動物モデルを用いて実証された。これらの知見は、老化細胞の除去や新たながん治療法の開発につながる可能性があり、今後の応用が期待される。

5. その他
これまで、アポトーシス(細胞の自然な死)を標的とした治療薬の開発が精力的に進められてきたが、決定的な成果には至っていない。これは、アポトーシスが生体の発達や恒常性の維持に不可欠な仕組みであり、その過剰な抑制が副作用を招くおそれがあるためである。一方、酸化ストレスによって誘導される「フェロトーシス」は、アポトーシスとは異なる経路で細胞死を引き起こすことから、新たな治療標的として注目されている。老化細胞やがん細胞では、フェロトーシスが抑制されていることが多く、その誘導が治療戦略となり得る。一方、アルツハイマー病やパーキンソン病などの加齢性神経変性疾患では、逆にフェロトーシスの過剰な活性が細胞死に関与している可能性が指摘されており、フェロトーシス制御の方向性は疾患の種類によって異なる。最近では、フェロトーシスを抑制する薬剤の研究も進展しており、既存薬の中にも本来の作用とは別にフェロトーシス抑制効果を持つものがあることが報告されている。また、ポリフェノール(ケルセチンやレスベラトロール)、ニンニク由来成分(アリシン)、プロポリスに含まれるアルテピリンCなど、食品由来の天然化合物にもフェロトーシス抑制作用があることが示されており、治療薬としてだけでなく予防的な観点からの応用も期待されている。

有澤琴子 東北大学 助教

1. 老化細胞におけるリソソーム酸性度低下の意義
老化細胞におけるリソソームの酸性度低下は、オートファジー機能の障害や炎症惹起の原因として、以前から老化研究の重要なテーマとなってきました。リソソームの酸性度が低下すると、分解酵素の活性が損なわれ、老廃物の蓄積や炎症性サイトカインの分泌が促進されることが知られています。

2. 膵臓がんとの関連性とがん治療へのインパクト
本研究は、リソソーム機能の変化が単なる老化の結果ではなく、フェロトーシスと呼ばれる酸化ストレス依存的な細胞死の抑制をもたらす原因になっていることを明らかにしました。これは、老化細胞や膵臓がん細胞の生存戦略の一端を示す新たな知見です。 リソソームは細胞内鉄の貯蔵と供給に関わり、酸性度はその機能維持に必須です。最近、リソソームがフェロトーシスの起点となりうることが報告されましたが(PMID: 40229298)、本研究により、リソソーム酸性化がフェロトーシス誘導効果を高めうることが動物モデルで示された点は応用的意義が高いと言えます。

3. 今後の研究課題
今回使用されたV-ATPase活性化剤EN6は、リソソーム酸性度を標的とする治療戦略の可能性を示すものですが、がん細胞に対する選択性や長期的な安全性、薬物動態など、臨床応用に向けた課題も多く、今後の研究の進展が期待されます。 アルツハイマー病でもリソソームの機能不全が報告されており、リソソームを標的とした治療戦略はがん以外の加齢関連疾患においても有用になる可能性があります。

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