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遺伝子組み換えブタの肺が人間で9日間機能

配信日:2025年8月27日

遺伝子組み換え豚の肺が人間で9日間機能

8/26に Nature Medicine に掲載された以下の論文に関してSMC-SpainとSMC-Japanが収集した専門家コメントを掲載します。SMC-Spainが収集した専門家コメントについては参考リンク先をご参照ください。

参考リンク:SMC-Spain(英語): https://sciencemediacentre.es/en/first-pig-human-lung-transplant-performed

【論文リンク】Nature Medicine(論文ページ)

【掲載日】2025年8月26日(日本時間)

【専門家コメント】

河合達郎(マサチューセッツ総合病院 移植外科/ハーバード大学医学部 外科 教授)

胸部X線写真やCTからも見てわかるように、臨床に使える移植臓器とは考えにくいです。9日間生存したと言っても、健康な肺が半分あるわけですから、どこまでこの肺が機能していたか分かりません。この論文がトップジャーナルに採択された理由については、私には少し腑に落ちないところがあります。異種移植といっても、臓器によって全く成績は異なり、肺は最も難しい異種移植臓器であると言えるでしょう。

Beatriz Domínguez-Gil(Director, National Transplant Organisation)

— 論文についての全体的な意見

この研究は移植医療にとって画期的といえます。遺伝子改変を施したブタの肺を脳死した人間に移植した初の事例です。この肺は、ヒトに適合しやすくするために6つの遺伝子改変を受けており、9日間にわたり機能を維持しました。この間、急性の拒絶反応や感染の兆候は見られませんでしたが、いくつかの合併症を生じました。

この成果の重要性は、これまでヒトでの異種移植の実験は腎臓、心臓、肝臓に限られており、肺では初めての事例である点です。肺は非常に繊細で、大量の血流を受け、常に外気にさらされるため、とりわけ脆弱で困難な臓器です。

著者らは、この最初の症例報告は重要な一歩であるものの、決定的な成果ではないと強調しています。肺の異種移植を実際の臨床現場で成立させるためには、遺伝子改変の精緻化、臓器保存技術、そして受容者に用いる免疫抑制を改善する必要があります。課題は非常に大きいですが、本研究は厳密な設計と実施によって進められており、移植用肺の深刻な不足に対して前例のない新しい選択肢を切り開くものです。

— 先行研究との関係とこの研究の示唆

この研究は、すなわち動物の臓器を人間に移植することが技術的に可能であることを示す証拠の一端です。ただし依然として大きな課題があります。CRISPRによる遺伝子編集の進歩がこの分野を近年急速に進展させ、臨床応用に一歩近づけているとはいえ、依然として実験的手法です。有効性と安全性を評価するには、短期・中期・長期にわたる綿密な臨床試験の枠組みでさらなる実施が不可欠です。

今回の研究でも、米国の先行研究と同様に、脳死者を実験モデルとして用いており、これにより生体患者にリスクを負わせることなく、ヒト環境での移植片の生存性を調べることができます。このモデルは科学的に大きな意義を持ちますが、常に厳格な倫理的・法的規制を必要とします。

肺は異種移植において特有の課題を持つ臓器です。すでに実験的に移植された腎臓、肝臓、心臓と比べても、空気への曝露と莫大な血流により、保存が難しく、脆弱です。改良が進めば、将来、肺の異種移植が命を救う現実的な選択肢になる可能性を示すものです。需要は非常に大きく、世界保健機関(WHO)の協力センターであるスペイン国立移植機構(ONT)が参画している世界移植・提供観測所(GODT)によれば、2024年には世界で8,236件の肺移植が行われています。しかし、需要は供給を大きく上回っています。EUだけを見ても、2024年に2,221人が肺移植を受けましたが、3,926人が待機リストに残り、そのうち216人は移植を受けられずに亡くなっています。スペインでは2024年に623件が行われ、人口100万人あたり13.1件と世界最高の移植率でした。

毎年何千人もの人々が臓器移植をタイムリーに受けられない可能性に直面しています。もし異種間移植が安全な臨床選択肢として確立されれば、肺移植へのアクセスを根本的に変革し、現在の深刻な臓器不足を大幅に改善することができるでしょう。

— 研究の限界について

第一に、移植後24時間で移植片に浮腫が観察され、急性の拒絶反応の兆候も見られました。これは、ドナー臓器の遺伝子改変、免疫抑制プロトコル、移植片保存戦略といった技術のさらなる研究と最適化が必要であることを示しています。

さらに、この研究では片側のブタ肺のみを移植し、レシピエントの自肺を片側だけ残している点も重要です。自肺の存在は移植片の機能や免疫応答に影響を与える可能性があり、自肺が残されない状況にそのまま結果をあてはめることはできません。

Prof Iván Fernández Vega(Professor of Pathological Anatomy, University of Oviedo)

— 論文についての全体的な意見

遺伝子改変を施したブタの肺を脳死した人間に移植した初めての事例を非常に詳細に記録しています。著者らは手術の手技および免疫学的・病理学的な記録について正確に報告しており、データの信頼性は高いといえます。

研究を実施した中国・広州医科大学のJianxing He率いる研究グループは、胸部外科や臨床肺移植に関して質の高い研究を行ってきました。著者らは手術手技の詳細に加え、機能的・画像的・免疫学的・病理学的の4領域にわたる非常に綿密な記録を公表しています。

— 先行研究との関係とこの研究の示唆

今回の新規性は、6つの遺伝子改変を加えたブタの肺を脳死した人間に移植した初の事例である点です。移植片は216時間(9日間)にわたり機能を保ちました。急性の拒絶反応は見られませんでしたが、24時間で早期の浮腫があり、3〜6日目に抗体関連拒絶の兆候が現れ、9日目に部分的な回復が見られました。これは肺における初のヒトでのエビデンスであり、技術的な実現可能性を裏付けるものですが、浮腫・拒絶・感染といった課題は残されています。心臓や腎臓の先行研究に加え、最近ではブタからヒトへの肝臓異種移植(異所性補助的異種移植)が脳死モデルで発表されました(Nature, 2025)。肝臓の事例では10日間にわたり機能し、胆汁やブタ由来のアルブミンを産生し、即時拒絶はありませんでした。

これらの研究は、異種移植が複数の臓器で再現性のある結果を示しつつ、臨床実験段階に入っていることを示しています。それぞれ特有の課題(肺における一次移植片機能不全や免疫学的障壁、肝臓における血行動態や凝固)がありますが、いずれも克服に向けた手法が模索されています。

— 研究の限界について

まず、移植は脳死患者に対して行われており、臨床的耐容性や実際の副作用を評価できないため、生きているレシピエントへ直接当てはめることはできません。また、追跡は9日間に限られているため、中長期的に追加合併症が起こるかは不明です。

さらに重要なのは、肺が非常に早期に機能不全を示し、最初の24時間で重度の浮腫が生じたことです。これにより機能は当初から制限され、3日目以降には拒絶反応が見られました。これは免疫が依然として大きな課題であることを示しています。また、本研究では非常に強力かつ複雑な免疫抑制療法が用いられましたが、毒性や感染リスクがあるため、臨床現場で適用するのは困難です。

最後に、これは単一の症例で結果の一般化には限界があり、今後の研究で再現されるまでは慎重に扱う必要があります。

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