田倉 智之 日本大学医学部社会医学系教授:
日本は人口・医療需要の減少局面に差し掛かかり、また円安や物価高等で病院経営は厳しく、さらに医療者の育成・就業環境も悪化している。未来志向の医療システム再構築が望まれる中、ソリューションの一つとして訪日外国人の医療インバウンドが注目されている。政府もこれを政策の柱に据え、2024年から新たに経産省や厚労省の関連事業が進められている。ところが、日本の医療ツーリズム市場は世界の動向(2023年に1,156億USドルであり、年平均成長率19.0%で拡大予測)に対して小さい。その原因は3つに大別される。第一に外国人特有の言語・文化・宗教、第二に診療負担の増大や医療費未払い、第三に診療のアフターケアや医療事故・医療起訴である。これらの課題は、診療機能や競争力を高めつつ診療単価を上昇させ、受入患者数の拡大を進めることで一定の解決を期待できる。国際医療に関わる経営管理の強化は、その前提となる。
本論文は、英国から他国への美容医療を中心とした医療ツーリズムによる術後合併症が、患者1人あたり最大2万ポンドの費用を公的医療制度であるNHSに発生させている可能性を明らかにしている。このように、医療レベルが高い国の一般人が海外で診療を受ける医療アウトバウンドは日本にはほぼなく、世界的に見ても稀である。ただし、同様の問題は日本でも姿を変えて存在しており、本論文はそれを際立たせる。アジア太平洋地域ではこの種の調査は行われていないように思われる。
公共財産の運営に関わる「共有地の悲劇」や、近年の政治的な「自国(自己)第一主義」といった新古問題が医療でも起きているということだ。医療分野では、国民の共有財産を用いて医療を行き届かせることが肝心となる。負担と利益を参加者で公平に分け合い、国民全体の価値や財産を毀損せず、健康リスクを下げることが最優先だ。医療現場では、薬事承認を通じて安全性が確立され、臨床で有効性のコンセンサスを得たものが医療保険に入る。一方で疾患を治療するというわけではない美容医療や、薬事承認まで至っていない先進医療領域は自由診療が多くなる。本来、自由診療のリスクは患者や病院の責任で応対し契約を完結するのが望ましく、日本にも「混合診療禁止」の仕組みがある。しかし実際には、合併症等のトラブルは問題が大きくなった段階で保険診療を通じてコストを公共システムで吸収することが多くなる。この構図はモラルハザードやフリーライダーといった不公平にもつながり、医療ツーリズムと共通の問題である。
